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文豪が愛した街 〜神楽坂〜

2017/02/24



神楽坂は文豪たちが通ったお店や、創作活動した場所、
作品中にも登場する場所が多い街であるのはご存知でしょうか。

夏目漱石、尾崎紅葉、泉鏡花、森鴎外など名だたる文豪とゆかりのある街です。
昨年は文豪達が愛した街として神楽坂と文京区の様々なスポットで1週間にわたり
「BUNGOマツリ」というイベントが開催されとても盛り上がっていました。

今回は文豪にゆかりのある神楽坂の街を散歩してみました。

くくり神楽坂からスタート。
なんとすでに目の前に(笑)

割烹 うを徳

明治初期から続く、老舗割烹料亭。かつては一見さんお断りのお店でしたが、現在は予約をすれば入れるとの事。
今でも芸者さんを呼んで本格的な料理を味わいながら芸者あそびも楽しめる粋なお店です。
明治の文豪、泉鏡花の小説『婦系図』(おんなけいず)に登場する魚屋の大将のモデルは初代 萩原徳次郎氏であると言われています。萩原氏はもともと八丁堀で魚屋を営んでおり、うを徳を開店する際に挨拶文を書いてくれたというほど縁深かったようです。

十字路を右手に進み、石畳ロード【兵庫横丁】へ。

【和可菜】

「ホン書き旅館」として有名な旅館。石畳にそってそっと佇んでいる外観は、静かで落ち着いており”ホン書き”にとっては隠れ家的な存在なのだと感じます。
山田洋次監督など利用している作家も有名な方が多いので、ここで書いた作品はヒットするという言い伝えもあるそうな…
“ホン書き”の方にとって聖地のような場所ですね。残念ながら今は営業されていないそうです。

兵庫横丁の石畳をまっすぐ進み…狭い路地から本通りへ。

【神楽坂本通り】

相馬屋源四郎商店

約350年前から先代が紙を漉きはじめ、尾崎紅葉の助言から洋紙の原稿用紙を日本で初めて売り出したのが「相馬屋」。
その原稿用紙は夏目漱石、北原白秋、石川啄木、坪内逍遥といった文豪たちに愛用されました。
石川啄木の最後の日記として知られる『千九百十二年日記』にも相馬屋で原稿用紙を買う描写があります。
今でも原稿用紙をはじめ文房具を販売しています。

毘沙門天善国寺

夏目漱石の小説『坊ちゃん』で描写があります。
夏目漱石の生家は早稲田で、普段も神楽坂にはよく訪れていたようで、神楽坂という言葉も出てきます。
毘沙門天の縁日での描写、ぜひ探してみて下さい。

【助六】

神楽坂で100年を越える履物や傘など和小物を扱う老舗。
作家の菊池寛や『乱れ髪』で有名な与謝野晶子は夫の鉄幹と共によく買い物に訪れていたそうです。

【志満金】

先ほど「うを徳」で紹介した泉鏡花ですが、神楽坂に住んでいた事がありました。
当時の神楽坂の様子を綴った『神楽坂七不思議』に鰻で有名な老舗割烹料亭である志満金(島金)が登場します。
「蒲焼」の文字が書かれた行灯は食欲をそそられる描写から、当時の神楽坂でも人気のあるお店だった事が分かります。
私もうな重を頂いた事があるのですが、ふわふわで程よいタレの甘さがたまりませんでした…

【泉鏡花、北原白秋旧居跡】
東京理科大の近くにあります。
泉鏡花は『婦系図』のお蔦のモデルとなった芸者のすずと一緒に暮らした場所で、
また泉鏡花から遅れて、北原白秋も約1年間同じ場所で過ごしています。
この1年はまた活躍した年で、短歌「もののあはれ」を発表するなど、歌作にも力をそそいでいました。

【尾崎紅葉旧居跡】
『金色夜叉』で有名な明治を代表する作家。
死去するまでの12年間を過ごし、『金色夜叉』もここで執筆しました。
神楽坂通りからは、朝日坂を登ると見えてきます。

作品を読みながら、また当時の様子に想いを馳せながら粋な神楽坂散歩をしてみてはいかがでしょうか。
今回は店舗を中心にご紹介しましたが、神楽坂には名だたる文豪が住んでいた跡地も多くあります。
また、一息つける公園やゆっくり落ち着けるカフェも多くありますので
ぜひ休日には、文庫本片手にゆっくり文学と神楽坂を楽しんでみてくださいね。

kukuli スタッフ

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